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―河野談話作成からアジア女性基金まで―

 1 検討の背景

 (1)河野談話については、2014年2月20日の衆議院予算委員会において、石原元官房副長官より、〈1〉河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果について、裏付け調査は行っていない、〈2〉河野談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせがあった可能性がある、〈3〉河野談話の発表により、いったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が活かされておらず非常に残念である旨の証言があった。

 (2)同証言を受け、国会での質疑において、菅官房長官は、河野談話の作成過程について、実態を把握し、それを然るべき形で明らかにすべきと考えていると答弁したところである。

 (3)以上を背景に、慰安婦問題に関して、河野談話作成過程における韓国とのやりとりを中心に、その後の後続措置であるアジア女性基金までの一連の過程について、実態の把握を行うこととした。したがって、検討チームにおいては、慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行っていない。

 2 会合の開催状況

 2014年

 4月25日(金)準備会合

 5月14日(水)第1回会合

 5月30日(金)第2回会合

 6月6日(金)第3回会合

 6月10日(火)第4回会合

 3 検討チームのメンバー

 秘密保全を確保する観点から、検討チームのメンバーは、非常勤の国家公務員に発令の上、関連の資料を閲覧した。

 弁護士(元検事総長) 但木敬一(座長)

 亜細亜大学国際関係学部教授 秋月弘子

 元アジア女性基金理事、ジャーナリスト 有馬真喜子

 早稲田大学法学学術院教授 河野真理子

 現代史家 秦郁彦

 4 検討の対象期間

 慰安婦問題が日韓間の懸案となった1990年代前半から、アジア女性基金の韓国での事業終了までを対象期間とした。

 5 検討の手法

 (1)河野談話にいたるまでの政府調査及び河野談話発表にいたる事務を当時の内閣官房内閣外政審議室(以下「内閣外政審議室」)で行っていたところ、これを継承する内閣官房副長官補室が保有する慰安婦問題に関連する一連の文書、並びに、外務省が保有する日韓間のやり取りを中心とした慰安婦問題に関する一連の文書及び後続措置であるアジア女性基金に関する一連の文書を対象として検討が行われた。

 (2)秘密保全を確保するとの前提の下、当時の政府が行った元慰安婦や元軍人等関係者からの聞き取り調査も検討チームのメンバーの閲覧に供された。また、検討の過程において、文書に基づく検討を補充するために、元慰安婦からの聞き取り調査を担当した当時の政府職員からのヒアリングが内閣官房により実施された。

 (3)検討にあたっては、内閣官房及び外務省から検討チームの閲覧に供された上記(1)の文書並びに(2)の聞き取り調査及びヒアリング結果に基づき、事実関係の把握、及び客観的な一連の過程の確認が行われた。

 6 検討チームの検討結果

検討チームの指示の下で、検討対象となった文書等に基づき、政府の事務当局において事実関係を取りまとめた資料は別添のとおりである。検討チームとして、今回の検討作業を通じて閲覧した文書等に基づく限り、その内容が妥当なものであると判断した。

(別添資料)

 1.河野談話の作成の経緯

 1 宮沢首相訪韓に至るまでの日韓間のやりとり(~1992年1月)

 (1)1991年8月14日に韓国で元慰安婦が最初に名乗り出た後、同年12月6日には韓国の元慰安婦3名が東京地裁に提訴した。1992年1月に宮沢首相の訪韓が予定される中、韓国における慰安婦問題への関心及び対日批判の高まりを受け、日韓外交当局は同問題が総理訪韓の際に懸案化することを懸念していた。1991年12月以降、韓国側より複数の機会に、慰安婦問題が宮沢首相訪韓時に懸案化しないよう、日本側において事前に何らかの措置を講じることが望ましいとの考えが伝達された。また、韓国側は総理訪韓前に日本側が例えば官房長官談話のような形で何らかの立場表明を行うことも一案であるとの認識を示し、日本政府が申し訳なかったという姿勢を示し、これが両国間の摩擦要因とならないように配慮してほしいとして、総理訪韓前の同問題への対応を求めた。既に同年12月の時点で、日本側における内々の検討においても、「できれば総理より、日本軍の関与を事実上是認し、反省と遺憾の意の表明を行って頂く方が適当」であり、また、「単に口頭の謝罪だけでは韓国世論が治まらない可能性」があるとして、慰安婦のための慰霊碑建立といった象徴的な措置をとることが選択肢に挙がっていた。

 (2)日本側は、1991年12月に内閣外政審議室の調整の下、関係する可能性のある省庁において調査を開始した。1992年1月7日には防衛研究所で軍の関与を示す文書が発見されたことが報告されている。その後、1月11日にはこの文書について朝日新聞が報道したことを契機に、韓国国内における対日批判が過熱した。1月13日には、加藤官房長官は、「今の段階でどういう、どの程度の関与ということを申し上げる段階にはありませんが、軍の関与は否定できない」、「いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい」との趣旨を定例記者会見で述べた。

 (3)1992年1月16日~18日の宮沢首相訪韓時の首脳会談では、盧泰愚大統領から「加藤官房長官が旧日本軍の関与を認め、謝罪と反省の意を表明いただいたことを評価。今後、真相究明の努力と、日本のしかるべき措置を期待」するとの発言があり、宮沢首相から、「従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が関与していた動かしがたい事実を知るに至った。日本政府としては公にこれを認め、心から謝罪する立場を決定」、「従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた方々に対し、衷心よりお詫びと反省の気持ちを表明したい」、「昨年末より政府関係省庁において調査してきたが、今後とも引き続き資料発掘、事実究明を誠心誠意行っていきたい」との意向を述べた。

 2 宮沢首相訪韓から加藤官房長官発表(調査結果の発表)までの間の期間の日韓間のやりとり(1992年1月~1992年7月)

 (1)宮沢首相訪韓後、1992年1月、韓国政府は「挺身隊問題に関する政府方針」を発表し、「日本政府に対して徹底的な真相究明とこれに伴う適切な補償等の措置を求める」とした。日本側では、真相究明のための調査に加えて、「65年の法的解決の枠組みとは別途、いわゆる従軍慰安婦問題について人道的見地から我が国が自主的にとる措置について、韓国側とアイディアを交換するための話し合いを持つ」ことが検討され、韓国側の考え方を内々に聴取した。

 (2)日本側は、1991年12月に開始した各省庁における関連資料の調査を1992年6月まで実施した。韓国側からは、調査結果発表前に、当該調査を韓国の政府及び国民が納得できる水準とすることや、調査結果発表について事務レベルで非公式の事前協議を行うことにつき申し入れがあった。また、発表直前には、韓国側から、調査結果自体の発表の他、当該調査結果についての日本政府の見解の表明、調査に続く措置の案の提示が含まれるべき旨意見が呈されるなど、調査結果の発表ぶりについて韓国側と種々のやりとりが行われた。

 調査結果の内容について、韓国側は、日本政府が誠意をもって調査した努力を評価しつつ、全般的に韓国側の期待との間には大きな差があり、韓国の国民感情及び世論を刺激する可能性があると指摘した。その上で、募集時の「強制性」を含めて引き続きの真相究明を行うこと、また、「後続措置」(補償や教科書への記述)をとることを求めるコメントや、「当時の関係者の証言等で明らかな強制連行、強制動員の核心となる事項が調査結果に含まれていない点に対する韓国側世論の動向が憂慮される」とのコメントがなされた。なお、韓国政府は、日本政府による調査結果の発表に先立ち、1992年7月、慰安婦問題等に関する調査・検討状況を発表したが、その際にも日本側に対し事前にコメントするよう要請し、結果として、両国で事前調整が行われた。

 (3)1992年7月6日、加藤官房長官は、記者会見においてそれまでの調査結果を発表した。官房長官より、関係資料が保管されている可能性のある省庁において資料の調査を行った結果として、「慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の衛生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったこと」を認め、「いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい」、「このような辛酸をなめられた方々に対し、我々の気持ちをいかなる形で表すことができるのか、各方面の意見を聞きながら、誠意をもって検討していきたいと考えております」と発言した。他方、徴用の仕方に関し、強制的に行われたのか、あるいは騙して行われたのかを裏付ける資料は調査で出てこなかったのかと問われ、「今までのところ、発見されておりません」と応じた。

 (4)なお、韓国側は、「補償」やその日韓請求権・経済協力協定との関係については、法律論で請求権は処理済みか検討してみないとわからないとしたり、現時点では日本側に新たに補償を申し入れることは考えていないと述べたりするなど、韓国国内に種々議論があったことがうかがえる。

 3 加藤官房長官発表から河野官房長官談話前の間の期間の日韓間のやりとり(1992年7月~1993年8月)

 (1)加藤官房長官発表の後も、韓国の世論においては慰安婦問題に対し厳しい見方が消えなかった。かかる状況を受け、内閣外政審議室と外務省の間で、慰安婦問題に関する今後の措置につき引き続き検討が行われた。1992年10月上旬に外務省内で行われた議論では、盧泰愚政権(注・韓国は1992年12月に大統領選挙を実施)の任期中に本件を解決しておく必要があると認識されていた。同じく10月上旬には石原官房副長官の下で、内閣外政審議室と外務省の関係者が、慰安婦問題に関する今後の方針につき協議した。同協議では、慰安婦問題につき、今後検討する事項を、〈1〉真相究明に関する今後の取組、〈2〉韓国に対する何らかの措置、〈3〉韓国以外の国・地域に対する措置、〈4〉日本赤十字社(以下「日赤」)への打診(〈2〉を実施するための協力要請)、〈5〉超党派の国会議員による懇談会の設置とする方針が確認された。このうち、真相究明については、資料調査の範囲を拡大するが、元慰安婦からの聞き取りは困難であるとしている。また、韓国への措置については、日赤内に基金を創設し、大韓赤十字社(以下「韓赤」)と協力しつつ、元慰安婦を主たる対象とした福祉措置を講ずることとされている。

 (2)上記方針を受け、10月中旬に行われた日韓の事務レベルのやりとりでは、日本側より、非公式見解としつつ、〈1〉日赤に基金を設置し、韓国等の国々に慰安婦問題に対する日本の気持ちを表すための措置を講ずる、〈2〉真相究明については、対象となる省庁の範囲を広げたり、中央・地方の図書館の資料を収集する等の措置を講じ、これら2点をパッケージとするアイディアがある旨を伝達した。これに対し、韓国側からは、〈1〉重要なのは真相究明である、〈2〉強制の有無は資料が見つかっていないからわからないとの説明は韓国国民からすれば形式的であり、真の努力がなされていないものと映る、〈3〉被害者及び加害者からの事情聴取を行い、慰安婦が強制によるものであったことを日本政府が認めることが重要である等の反応があった。

 (3)こうした韓国側の反応を受け、日本側において改めて対応方針の検討が行われた。10月下旬、未来志向的日韓関係の構築のため、韓国の政権交代までに本件決着を図るよう努力するという基本的立場の下、〈1〉真相究明(資料の調査範囲の拡大、元従軍慰安婦代表者(数名)との面会の実施といった追加措置をとり、結論を導く。「強制性」については明確な認定をすることは困難なるも、「一部に強制性の要素もあったことは否定できないだろう」というような一定の認識を示す。)と、〈2〉「我々の気持ちを表すための措置」(日赤内に基金を創設し、韓赤と協力しつつ、主に福祉面での措置を想定)をパッケージとすることで本件解決を図ることを韓国側に提案する方針を決定し、韓国側に伝達した。

 (4)しかし、1992年12月の大統領選挙との関係で、韓国側では検討はあまり進んでおらず、本格的な議論は大統領選挙後に行いたいとの反応であったため、日本側は、韓国新政権のスタッフと調整を行い、早期かつ完全な決着をめざすとの方針を決定した。その際、今後の対応として、〈1〉真相究明のための措置を実施する、〈2〉後続措置の内容について可能な限りさらに具体化する、〈3〉「後続措置とセットの形で、真相究明の措置の結果として」、「一部に『強制性』の要素もあったと思われる」など一定の認識を示すことを再度韓国側に打診することとなった。その際、真相究明のための措置として、〈1〉調査範囲の拡大、〈2〉韓国側調査結果の入手、〈3〉日本側関係者・有識者よりの意見聴取、〈4〉元従軍慰安婦代表からの意見聴取が挙げられているが、元慰安婦代表からの意見聴取については「真相究明の結論及び後続措置に関して韓国側の協力が得られる目処が立った最終段階で」、「必要最小限の形で」実施するとしている。

 (5)1992年12月、韓国大統領選挙と前後して、日本側は累次にわたり、韓国側に対して基本的な考え方を説明した。真相究明については、〈1〉日本政府はこれまで真相の究明に努力してきたが、100%の解明はそもそも不可能である、〈2〉慰安婦の募集には、「強制性」があったケースもなかったケースもあろうが、その割合をあきらかにすることはできないであろう、〈3〉最後の段階で、日本政府関係者が慰安婦の代表と会って話を聞き、また韓国政府の調査結果を参考にして、強制的な要素があったということを何らかの表現にして政府の認識として述べてはどうかと考えている等の説明を行った。これに対し、韓国側は、〈1〉理論的には自由意志で行っても、行ってみたら話が違うということもある、〈2〉慰安婦になったのが自分の意志でないことが認められることが重要である等述べた。後続措置に関しては、日本側より、法律的には片付いているとしつつ、ことの本質から考えて単に違法行為があったということでなく、モラルの問題として誠意をどう示すかの問題として認識している、措置をとるにあたって、韓国側の意見は参考としてよく聞くが、基本的には日本が自発的に行うものである等の説明を行った。

 (6)1993年2月には、金泳三大統領が就任した。1993年2月~3月頃の日本側の対処方針に係る検討においては、基本的考え方として、「真相究明についての日本政府の結論と引き換えに、韓国政府に何らかの措置の実施を受け入れさせるというパッケージ・ディールで本件解決を図る」、「真相究明については、半ば強制に近い形での募集もあったことについて、なんらかの表現により我々の認識を示すことにつき検討中」、「措置については、基金を創設し、関係国(地域)カウンターパートを通じた福祉措置の実施を検討」としていた。「強制性」については、「例えば、一部には軍又は政府官憲の関与もあり、『自らの意思に反した形』により従軍慰安婦とされた事例があることは否定できないとのラインにより、日本政府としての認識を示す用意があることを、韓国政府に打診する」との方針が示されている。また、元慰安婦の代表者からの事情聴取に関しては、「真相究明の結論及び後続措置に関し、韓国側の協力が得られる目途が立った最終的段階で、他の国・地域との関係を考慮しつつ、必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討する」とされている(聞き取り調査については後述)。

 (7)1993年3月13日、2月に就任した金泳三韓国大統領は、慰安婦問題について、「日本政府に物質的補償を要求しない方針であり、補償は来年から韓国政府の予算で行う。そのようにすることで道徳的優位性をもって新しい日韓関係にアプローチすることができるだろう」と述べた。

 同年3月中旬に行われた日韓の事務方の協議において、日本側は、〈1〉慰安婦問題の早期解決、〈2〉韓国政府による世論対策の要請、〈3〉前出の大統領発言を受けての韓国政府の方針と日本による措置に対する韓国側の考え方の確認等を軸とする対処方針で協議に臨んだ。この対処方針の中で日本側は、「真相究明の落とし所として、日本政府として『強制性』に関する一定の認識を示す用意があることを具体的に打診する。また、韓国政府の仲介が得られれば、本件措置のパッケージの一環として元慰安婦代表(複数可)との面会を実施する用意があることを打診する」としている。同協議の場において、韓国側は、日本側の認識の示し方について、事実に反する発表はできないであろうが、(例えば、何らかの強制性の認定の前に、「軍は募集に直接関与したことを示す資料は発見されなかったが」等の)複雑な「前置き」は避けるべきと考える旨述べた。

 同年4月1日の日韓外相会談では、渡辺外相より、「強制性」の問題について「全てのケースについて強制的であったということは困難である」、「両国民の心に大きなしこりが残らないような形で、日本政府としての認識をいかに示すかぎりぎりの表現の検討を事務方に指示している」、「認識の示し方について、韓国側と相談したい」等と韓昇洲外務部長官に伝達した。

 (8)一方、韓国側は、それまで真相究明のやり方については韓国側としていちいち注文を付けるべきことではなく、要は誠意をもって取り進めていただきたいとの姿勢であったのが、前述の93年4月1日の日韓外相会談頃から、韓国国内の慰安婦関係団体が納得するような形で日本側が真相究明を進めることを期待する、また、韓国政府自体は事態収拾のために国内を押さえつけることはなし得ないとの姿勢を示し始めた。1993年4月上旬に行われた日韓の事務方の意見交換の際にも、日本側の働きかけに対し、〈1〉日本側が真相究明のためにあらゆる手をつくしたと目に見えることが必要、いたずらに早期解決を急ぐべきではない、〈2〉慰安婦は一部のみに強制性があったということでは通らないのではないか、〈3〉韓国政府としては、日本側と決着を図り、韓国世論を指導するとか抑え込むということはなし得ない、要は日本政府の姿勢を韓国国民がどう受け取るかにつきる、との見解を述べた。

 更に、同年4月下旬に行われた日韓の事務方のやりとりにおいて、韓国側は、仮に日本側発表の中で「一部に強制性があった」というような限定的表現が使われれば大騒ぎとなるであろうと述べた。これに対し、日本側は、「強制性」に関し、これまでの国内における調査結果もあり、歴史的事実を曲げた結論を出すことはできないと応答した。また、同協議の結果の報告を受けた石原官房副長官より、慰安婦全体について「強制性」があったとは絶対に言えないとの発言があった。

 (9)1993年6月29日~30日の武藤外相訪韓時には、武藤外相より、「客観的判断に基づいた結果を発表し、本問題についてのわれわれの認識」を示すとした上で、「具体的にどういう表現にするかについては、日本側としても韓国国民の理解が得られるようぎりぎりの努力を行う所存であるが、その際には韓国政府の大局的見地からの理解と協力を得たい」旨述べた。韓昇洲外務部長官からは、日本側の誠意あふれる発言に感謝するとしつつ、重要な点として、「第一に強制性の認定、第二に全体像解明のための最大の努力、第三に今後とも調査を継続するとの姿勢の表明、第四に歴史の教訓にするとの意思表明である。これらがあれば」、「韓国政府としても」、「本問題の円満解決のために努力していきたい」との発言があった。また、韓国側からは、日本に対し金銭的な補償は求めない方針であるとの説明があった。

 4 元慰安婦からの聞き取り調査の経緯

 (1)元慰安婦からの聞き取り調査に関しては、1992年7月~12月にかけて累次にわたり、韓国側からは、〈1〉被害者及び加害者からの事情聴取を行ってほしい、〈2〉日本側の誠意を示すためにも、全ての慰安婦とは言わないまでも、その一部より話を聞くべき、〈3〉日本政府が最善を尽くしたことが韓国人に伝わることが重要である、〈4〉日本政府だけでなく地方や外国でも調査を行ったり、関係者の証言も聴取することが望ましい等の指摘があった。また、韓国側からは、聞き取り調査によって関係者の感情を和らげることができ、また、自分の意思でなかったことを主張している人に対し誠意を示すことになるとの見解が示されていた。

 (2)日本側においては当初、元慰安婦からの聞き取り調査を始めると収拾がつかず、慎重であるべきとの意見もあったが、1992年12月までに、上記韓国側見解を踏まえ、「真相究明の結論及び後続措置に関して韓国側の協力が得られる目処が立った最終段階で」、元慰安婦からの意見聴取を「必要最小限の形で」実施するとの対応方針が決定された。その後、1993年3月の日韓の事務方のやりとりでは、日本側より、前述(3(4)~(6))の対処方針に沿って、「韓国政府の仲介が得られれば、本件措置のパッケージの一環として元慰安婦代表(複数可)との面会を実施する用意がある」ことを打診した。これに対し、韓国側は、評価すべきアイディアとコメントするとともに、全員から聴取する必要はないであろうとし、「証人」の立ち会いを求めることはあり得るが、韓国政府は立ち合いを希望しないであろう旨述べた。

 (3)1993年4月頃より元慰安婦からの聞き取り調査に関するやりとりが本格化した。その際に、韓国政府が慰安婦問題関係団体への打診を行ったが、韓国政府からは、慰安婦問題関係団体の主張は厳しく、解決を急ぐあまり当事者から証言をとってお茶を濁そうとしているとの反発があるとの説明があった。また、韓国政府は、真相究明のあらゆる手段を尽くした上での最後の手段として本人のインタビューが必要であるといった位置づけを説明する必要があり、いきなりインタビューを行うと一方的に決めるのではなく、時間の余裕をもって対応する必要がある旨述べた。その上で、韓国政府から、太平洋戦争犠牲者遺族会(以下「遺族会」。1973年に結成。太平洋戦争の遺族を中心に結成された社団法人で、活動目的は遺族実態の調査や相互交流等)及び挺身隊問題対策協議会(以下「挺対協」。1990年に結成。多数のキリスト教系女性団体で構成され、特に慰安婦問題を扱い、日本軍の犯罪の認定、法的賠償等を日本側に要求することを運動方針としている)に打診を行った。韓国政府からは、このうち、遺族会については、聞き取り調査に応じる用意があるのでこれを行い、挺対協については、聞き取り調査には難色を示しているので、挺対協が出している証言集を参考とすることも一案である旨の見解が示されていた。なお、同年5月中旬には、韓国政府は、聞き取り調査によって新たな事実が出てくるとは思わないが、この問題の解決の一つの手続きとして行うということであろうとの反応を示した。また、7月上旬に行われた日韓の事務方のやりとりでは、韓国側より、聞き取り調査の実施は最終的に日本側の判断次第であり、不可欠と考えているわけではないとしつつも、聞き取り調査は日本側の誠意を強く示す手順の一つであり、実現できれば調査結果の発表の際に韓国側の関係者から好意的反応を得る上で効果的な過程の一つとなると考えるとの意向が示された。

 (4)1993年5月末~7月にかけて、日本側は、挺対協及び遺族会と相次いで、元慰安婦からの聞き取り調査の実施のための接触・協議を行った。

 挺対協については、(3)のとおり、韓国政府から、挺対協の厳しい立場の根底には日本政府に関する不信感があり、それを和らげるためには現地調査の実施やインタビューへの民間人の立ち会いが必要である旨示唆があった。韓国政府の示唆を踏まえ、5月下旬に在韓国日本大使館が挺対協との協議に着手したが、挺対協側は聞き取りの実現に、当時日本政府が行っていた追加調査結果の事前提示、「強制性」の認定等を条件として掲げ、日本側とのやりとりを経てもその立場を翻意するには至らなかった。またその過程で挺対協側より、日本の役人、しかも男性がいきなり来ても誰も心を開いて話はしないとして、慰安婦らの証言については挺対協がとりまとめていた証言集を参考にすることで十分であるとのコメントもあり、最終的に挺対協からの聞き取り調査は断念し、代わりに同証言集をもって参考とすることとなった。

 (5)一方、在韓国日本大使館は遺族会とも協議を開始し、複数回に亘る交渉を経て、聞き取り調査を実施することで合意した。この際、〈1〉聞き取りは静かな雰囲気で行うこととし、場所は遺族会の事務所とすること、〈2〉聞き取りに当たっては、全国人権擁護委員連合会所属の弁護士1名及び訴訟に関与した弁護士1名が日本側のオブザーバーとして、遺族会関係者1名が遺族会側のオブザーバーとして、それぞれ立ち会うこと、〈3〉遺族会の募集により希望する全ての慰安婦から聞き取りを行うこと、〈4〉外部の記者は入れず、また、遺族会の内部記録用としてビデオ撮影を行うが、本ビデオは公表したり法廷で使用したりしないこと、〈5〉慰安婦関連の訴訟で原告側の訴状の中に出てくる元慰安婦9名の証言については、被告である日本政府が訴状をそのまま参考にはしないが、遺族会側がそれら元慰安婦の証言を別の形でまとめたものを参考資料とすること等について一致した。聞き取り調査は、事前の調整の時間が限られていたこと、また日本側としては元慰安婦の話を聞きにいくという姿勢であったこともあり、前述のとおり遺族会側が手配した場所(遺族会事務所)で行われ、日本側は対象者の人選を行わなかった。また、聞き取り調査の実施に向けた日本側と遺族会の間の具体的な調整に際し、対象となる慰安婦の選定等については、韓国政府側が何らかの関与・調整等を行った事実は確認されなかった。

 (6)最終的に、遺族会事務所での聞き取り調査は1993年7月26日に始まり、当初は翌27日までの2日間の予定であったが、最終的には30日まで実施され、計16名について聞き取りが行われた。日本側からは、内閣外政審議室と外務省から計5名が従事し、冒頭で聞き取りの内容は非公開である旨述べて聞き取りを行った。元慰安婦の中には淡々と話す人もいれば、記憶がかなり混乱している人もおり、様々なケースがあったが、日本側は元慰安婦が話すことを誠実に聞くという姿勢に終始した。また、韓国政府側からは、聞き取り調査の各日の冒頭部分のみ、韓国外務部の部員が状況視察に訪れた。

 (7)聞き取り調査の位置づけについては、事実究明よりも、それまでの経緯も踏まえた一過程として当事者から日本政府が聞き取りを行うことで、日本政府の真相究明に関する真摯な姿勢を示すこと、元慰安婦に寄り添い、その気持ちを深く理解することにその意図があったこともあり、同結果について、事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった。聞き取り調査とその直後に発出される河野談話との関係については、聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており、聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた(下記5参照)。

 5 河野談話の文言を巡るやりとり

 (1)1992年7月の加藤官房長官発表以降、日本側は真相究明及び後続措置について何らかの表明を行うことを企図し、韓国側との間で緊密に議論を行った。1993年3月に行われた日韓の事務方のやりとりでは、韓国側から、日本側による発表は、韓国側との協議を経て行われるような趣旨のものではなく、あくまでも日本側が自主的に行ったものとして扱われるべきものとしつつ、発表内容は韓国側をも納得させ得る内容に極力近いことが望ましいとの感想が述べられた。同年5月の日韓の事務方のやりとりでは、日本側から、発表に対して韓国政府からネガティブな反応は避けたいとして、「強制性」等の認識については、一言一句というわけにはいかないものの、韓国側とやりとりをしたい旨述べたのに対し、韓国側は、種々協力したく、発表文については、その内容につき知らせてほしいと述べる等、発表文を承知したい旨要望していた。

 同年7月28日の日韓外相会談において、武藤外相より、「発表の文言については内々貴政府に事前にご相談したいと考えている」、「この問題については右をもって外交的には一応区切りを付けたい。金泳三大統領は、日本側の発表が誠心誠意のものであったならば、自分から国民に説明する考えであり、そうすれば韓国国民にも理解してもらえると考えている旨述べていた。この点を踏まえ、是非大統領に日本側の考えを伝えて欲しい」と述べた。これに対し、韓昇洲韓国外務部長官からは、「本件に対する日本の努力と誠意を評価したい。日本側の調査の結果が金泳三大統領より韓国国民の前で説明して納得できる形で行われることを期待すると共に、これにより韓日関係が未来志向的にもっていけることを期待している。韓国もこのような結果を待ち望んでいる」と述べた。

 (2)また、日本側では、加藤官房長官発表以降も引き続き関係省庁において関連文書の調査を行い、新たに米国国立公文書館等での文献調査を行い、これらによって得られた文献資料を基本として、軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析に着手しており、政府調査報告も、ほぼまとめられていた。これら一連の調査を通じて得られた認識は、いわゆる「強制連行」は確認できないというものであった。

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