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1914年6月28日、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、当時のボスニアを領有していたオーストリア・ハンガリー二重帝国の皇太子が暗殺され、第1次世界大戦が勃発するきっかけとなった「サラエボ事件」が起きてから、28日で100年が経過した。

 暗殺実行犯のセルビア人青年が、市内を流れるミリャツカ川ぞいの通りを走っていた専用車に向かって銃弾を放った「ラテン橋」たもとの現場には、朝から観光客を中心に多くの人が訪れた。人々は、1千万人ともいう犠牲を出した歴史の原点に見入っていた。

 現在のボスニア・ヘルツェゴビナの首都でオーストリア皇太子が暗殺され、第1次世界大戦勃発の引き金となった「サラエボ事件」から28日で100年を迎えた。暗殺犯はテロリストなのか英雄なのか、隣国セルビアとの間で1990年代の紛争ともからんで論争が蒸し返されるなど、和解がなお進まない現状が際だつ一日となった。

 第1次大戦は、毒ガスという史上初の大量破壊兵器や、飛行機など近代技術を用いた新兵器が次々に投入された。その結果、欧州中心に死者1千万人に及ぶともされる犠牲を招いた。その起点から1世紀をへた欧州だが、3月のクリミア併合に象徴されるウクライナとロシアとの対立が続き、今も戦火の影が消えない。

 サラエボでは28日、平和構築をテーマにしたパネル展が暗殺現場からも近い遊歩道で始まった。同夜には、皇太子が事件直前に訪問した当時の市庁舎を会場に、オーストリアからウィーン・フィルを招いた記念コンサートが開かれる。

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